眉山の家
- 用途
- 住宅
- 所在地
- 徳島市
- 構造
- 木+鉄骨造2階、1階改修
- 規模
- 延床面積81㎡
- 施工
- 誉建設
- 写真撮影
- 米津光
3度目の増築と家族構成の変化を踏まえた設計
築30年あまり、その間2度にわたる増改築を行ってきた1階木造、2階鉄骨造の変則的な構造形式の既存住宅への増改築である。今回の改築では1階木造部を柱、梁、耐力壁等の構造体を残して解体し、南庭に約10㎡増築部を加えて内外装を一新した。建主は昭和49年に木造建売住宅を購入した。昭和51年に鉄骨2階上屋を増築する。既存平屋の周囲に鉄骨柱をめぐらせ、鉄骨2階の真下に木造平屋がすっぽり納まるような工法で作られた。また2000年夏には1階食堂部分に6平米の木造増築を行った。さらに2005年、同じ広さの敷地を北側に買い足したため、それまでの敷地境界線がなくなり北側の既存住宅との間にも庭ができることとなった。既存住宅は1階に6畳程度の部屋が小割りとなっていて全体の面積の割には使いづらく、充分な快適性がなかったので、2008年に建主は改築を決断し設計が始まった。
1974年この地に移り住んだ後の家族構成もめまぐるしく変化した。(夫婦+子供2人→子供が1人増加→3人の子供が大学進学とともに順に巣立つ→子供のうち1人が就職で一度戻ってくる→祖母が介護のため同居する→祖母の死→現在の老夫婦だけに戻る→敷地内の離れ住宅に一組の子供夫婦が家族5人で戻ってくる。)その時々の生活から先が見通せているわけではなく、家族はその場その場で生活を続けるために増改築を判断してきた。そのような付け焼刃的ともいえるつくり方をネガティブに捉えることなく、懸命に高度成長期から生きてきた生活の器であると受け止めようと考えた。いかに過去からの時間によって培われてきた建物のくせを受け継ぎ修正し、未来の生活像に応えうる建築にできるかが焦点であった。
周辺環境との関係性の再生
敷地は北側を徳島市のシンボル眉山にぐるりとかこまれた、昭和40年代に造成された新興住宅地である。
四国東岸の瀬戸内気候と太平洋側の気候にまたがり、高温多湿冬は積雪もあり、夏から秋にかけて台風も上陸する。そのような気象条件でも窓をあけて気持ちよく暮らせること、また不変の山並み、周囲の新興住宅地の雑然とした町並、時間が経つことによって馴染んできた近隣の庭のある風景をどのように室内に取り込むかが計画のポイントとなった。庇、軒を建物4周に回して奥行きを取り、既存構造との必然性から位置や大きさが決まっていった開口部のしつらえを工夫した。そうすることで室内から、軒や開口部を通して遠くに見える山並みや近景の緑が、混沌としつつも落ち着いて眺める風景になった。
内と外をつなぐしつらえ
ほぼすべての窓開口を窓・網戸・雨戸の3枚構成の片引き収納戸とした。すべて引き込めばさえぎるものがなにもなくなり、各戸が出ているときは残りの2枚は常に収納されることで、すっきりした見えがかりとなった。
素材について
極力地元の材料を使い、地元の職人が長年用いてきた工法となるような設計を心がけた。徳島は良質の杉を産するので、外壁・軒裏天井・建具枠などに杉材がふんだんに使われた。また内壁には漆喰が塗られている。
2階鉄骨造とあわせた耐震性能の向上
既存構造体として、柱と耐力壁としての土壁があった。土壁を極力残して必要な箇所には構造用合板による耐力壁をつけたした。またその木造軸組みを2階の鉄骨造に梁のレベルでつないだ。つなぐことで一階の耐力壁が鉄骨造の耐力壁要素としても機能し、全体として既存住宅よりも耐震性能を高めた。